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さとりをひらいちゃったのかもしれない(6)

いよいよ大詰めである。思考を「本当の自分」とみなすとしんどい、ということはご理解いただけたろうか。思考はネガティブな未来ばかりをあなたに提示する。過去の苦い経験をあなたに呼び覚まさせながら(その経験も思考が引き起こしたのに!)。それが特徴なのである。しんどいね。
じゃあ思考を消すにはどうしたらよいのか?いや、言い直そう。思考は消えはしない。コントロールするにはどうするか?
それは、この連載の最初のほうで、ある午前中の例で私の思考を打ち消したものは何か?を思い出していただければ、わかるだろう。さまざまな不安を抱えて上の空で作業をしていた私の目を覚まさせたのは、馬鹿でかい「おかんの声」であった。目の前で起こっている事実に遭遇した瞬間、本当の自分が顔を出し、思考は「消えた」のである。
思考は「苦い過去とありもしないネガティブな未来」が大好物なのだが、「いま、この瞬間」に対抗できない。思考とはあくまで「机上の解釈」なので、目の前でたったいまリアルタイムで起こっている未評価の現実にはコメントできないのである。有事には役立たない。そういう意味では、思考というのは常に幻だと言える。
ピッチャーの投げた球を見極める瞬間に、「来年の契約はどうなるんだろう」と考えている野球選手はいないだろう。体がただ反応してボールを打ち返すだけだ。あるいは、あなたが犬好きなら、目の前にとても可愛い犬が現れたときは何も考えずに「わ。可愛い」と思うはずだ。そこには幻の過去も未来もない。それが本来の自分自身の反応なのだ。しかしながら、それでも思考と自分がひとつになってしまっているときは、そういう反応もできない。「いま」目の前で起きていることを見逃し、思考が作り出す幻を見て生きていることになってしまう。
「思考とひとつになる」とは、「時間のわなにはまる」ことだと、トールは言う。そうすると、「記憶」「期待」「不安」だけを糧にして、過去をアイデンティテイのよりどころにして未来を目標達成の道具にして執着心を抱くようになる。つまり、「いま、この瞬間」を受け入れなくなるのである。
トールは、ずばり言う。「時間の概念を捨てなさい」と。「時間は幻に過ぎない」とも。過去も未来も思考が作り出したものであり、不確かなのだ。「いま、この瞬間」しか現実には存在しないのだから。「いま」以外のときになにかが起こったり、存在することが可能ですか?とトールは問いかける。
ここで、「よくある、今に生きろ、てやつ?それが結論?」と思ってはいけない。私も最初そう思いかけた。勘違いしやすいのは、「今に生きろ」と言われたら、「文句言わずに目の前の課題に向かって努力しなさい」ととらえてしまう、ということだ。まことに我々はよく「しつけられている」のである。
トールが言ってるのは、そういうことではない。目的がどうとか、まわりがどう思うか、などという思考を使わずに、ただ目の前のことを受け入れるために、常にあなた自身を「いまに在る」状態にしておきなさい、ということだ。たとえば思考が作り出した、他人の目を意識したご立派な目標のために、それがまだ達成できていない「いま」を単なる人生の通過点ととらえてしまったら、あなた自身は生きていることにならない、ということ。
我々は思考を使って、自分で歪めたかもしれない過去の教訓めいた記憶と、それに基づいた、まだ起こってもいない不安な未来予測に基づいて行動してしまい、「いま、この瞬間」をないがしろにして「上の空」で「無意識」に行動してしまいがちだ。これこそが苦しみを生み続ける原因なのである。思考が作り出した、過去と未来という幻の時間の概念があなたを苦しませ続ける。
もちろん人との約束などの実用的な時間、つまり「時計時間」は必要だろう。しかし、用事がすんだらただちに「いまに在る」意識に戻る方法を身につけたい。そうしないと、「心理的時間」を心に積もらせて、過去と未来を自分だとみなしてしまう。明確な理由もないのに、なにをしていてもなにかに追い立てられているようなかんじ、これが「心理的時間」に支配されている状態、つまり思考に支配されている状態である。「時計時間」は頭の片隅にあるが、「心理的時間」には左右されない。これが「いまに在る」ためのコツなのだ。
人生は義務ではない。「いま」は思考が定めたご立派なゴールの通過点ではない。「いま」、目の前で起こっていることをわくわくした気持ちで楽しむことのみに集中していれば、実は誰の人生も活気に満ちて新鮮で驚きに満ちてくるのである。
「いまに在る」。実はさとりとは、これだけのことだ。
しかし、これだけで「人生が激変する」と、保証する。過去も未来も自分の思考が作り出したなんの根拠もない幻なのだから(毎日毎日変わりばえがしない人生だと思っている人は、自分の意思でそうしているのだ)、私たちが自由になるのは明日でもなく、来年になったらでもなく、「いま」しかない。
しかしながら、長年の「考えぐせ」というのはなかなか払拭できるものではなく、私も「あ!いま思考にはまってた!」ということが、まだまだ多い。でもそれは「思考を観察できている」という証拠であり、それだけで大進歩なのである。さとりに近づいている。そういうときは、「深呼吸」して「いま」に戻ればいい。私のことをいえば、自分の内部から「ゆったり」か「わくわく」が沸き起こっていれば、「いまに在る」状態だ。不安のない状態、と言った方がよいかもしれない。最近では、はっきりと思考と「本当の自分」の区別がつくようになった。
いまに在れば、すばらしいことが待っている。どうすばらしいかは、トールの書籍をじっくり読んでほしいし、時間をかけて自分の体で感じるしかない。まずは起きている時間の半分を目安に、「いまに在る」状態を維持したい。「ゆったり」か「わくわく」していて不安のない状態、である。他人にどう思われるか?などということを考えてはいけない。それは思考が大好きなパターンである。本当の自分を愛して、大切にすればいい。実にシンプルである。
もういちど言うが、今に在れば、すばらしいことが待っているのだ。健闘を祈る。(完)

*読んでいただいてた方、ありがとうございました。スピリチュアル・ビギナーのくせに、エックハルト・トールの「受け売り」という大胆なコンセプト(ともいえない)であまりにも影響を受けたので思わず長文を書いてしまいました。私自身はトールをきっかけに、いま「心の旅」→「宇宙の旅」の途上でございます。人生はがらっと変わりました。いろんなことが変わらざるを得ません。シンプルな方向に。
皆さんもよい旅を!
南郁夫
gskobe373@yahoo.co.jp

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